グリーンバレーの活動


地域の活動としてALTの先生達をホームステイで受け入れる神山ウィークエンド(国際交流)、アリスの里帰り、アドプトなどを行ってきたが、その活動を集約して2004年にNPO法人グリーンバレーを設立した。ウィークエンドも12〜13年間続いた。グリーンバレーの活動をしていたのは、シンプルに面白かったからであったと思う。仕事の合間に、好きだから集まって、沢山話し合って計画し、実行するということを続けてきた。

 

印象に残っているのはグリーンバレーの前身となるアリスの里帰りプロジェクト。1927年に平和と親善のためアメリカから贈られ、日本の小学校に配られた青い目の人形を64年を経て1991年にアメリカに里帰りさせるというプロジェクトである。旅費などもすべて自己負担であったが、30名で訪れたアリスの故郷であるペンシルベニア州ウィルキンスバーグ市への訪問は、多くの現地の方やメディアに歓迎され、歴史的な一歩を踏み出せたように感じられて感慨深いものがあった。これは神山の国際交流の第一歩となり、その後アーティストインレジデンスなどの活動を展開する足がかりとなった。

 

海外のアーティストを神山に誘致し、製作活動を行ってもらうアーティストインレジデンスも何もないところからのスタートだった。私はアーティストの生活面のお世話を主に担当していたがもちろん、言葉は通じなかった。しかし、案外「思い」は通じるものであった。”どの地域でもやっていないことをやろう”という思いをお互いに共有できていたと思う。神山に訪れる人それぞれが、面白がって精力的に活動する。だからこそ目立つし、周りがついてくるようになっていったのだと思う。この活動は22年続いており、毎年100人前後のアーティストの応募があった中、外国人を含む3名を受け入れている。

 

グリーンバレーの面白さは、好きな時間に好きなことができるところだったと思う。今は組織も大きくなって経済活動も大切にしているが、昔はみんな無給でボランティアとして採算度外視でやりがいを持って、メンバー全員が楽しんでいた。

 

神山塾生の受け入れ


神山塾は、前向きに立ち止まり、徳島県神山町で自分らしい生き方・働き方・暮らし方のきっかけをつかむ地域人材育成事業のことである。求職者支援訓練として全国から若者があつまり、神山で生活しながら学びを深めていく活動だ。

 

神山塾生の受け入れを開始したのは、株式会社リレイションの祁答院社長から、神山塾生の受け入れの申し出があったことがきっかけだった。グリーンバレーの理事会では「まずは受け入れてみよう」といつものように即決した。1期生の時は、地元の人にとっても初めての試みであったが、活動を応援しようという声があがっていた。私の家では、1期生として3名の女性が東京、大阪、鳴門から下宿することとなった。若い女性がいると多くの人が集まり、岩丸家がとても賑やかになった。その後2期生は15〜16人、3期生は20人と段々と塾生が増えていった。

 

半年間の塾生の滞在が終わると3ヶ月くらい休み、また次の期が始まる。塾が終わった後に仕事を探すため、卒塾後も1〜2ヶ月ほど滞在する塾生もいた。みんな今まで苦労していて、何か思うことがあって神山塾に来ている。ゆっくり色んな人や自然と触れ合いながら仕事との向き合い方を考えたら良いのではないかと思っている。

 

神山塾生はみんな娘・息子・孫のような存在である。卒塾生が友達を連れて泊りに来たり、飛び込みで泊りに来る人もいる。中には、一晩泊るつもりが半年滞在した人もいた。

この家が人と人とが出会う場所となり、たくさんのコミュニケーションが生まれる場であることをとても嬉しく思う。

 

岩丸家で一番ビックリした出来事


岩丸家ではとくに事件と呼ぶようなことは起きていないが、一番驚くのは、いつの間にか交際相手がいることを知らされるときである。

もちろん相手のことも知っているからこそ驚くのだが、こればっかりは何度経験しても慣れない。2人で居間に正座して結婚の報告をしに来てくれることもある。娘たちの本当の父親の気分だ。今までに15〜16組くらい報告を受けただろうか。こちらから交際相手を推薦することは一切ないのだが、神山で暮らし、価値観を共有できるパートナーにめぐり逢えることは喜ばしいことだと感じる。

 

人の集まる場所では様々な人間関係のいざこざが起こりそうだが、岩丸家に集まる人達にはいじめどころか、みんなお互いに励まし合う文化がある。神山塾生は滞在期間が決まっており、半年経ったらどこか別の場所へ行く可能性もあるので前向きなタイプの人が圧倒的に多く、出会いを大切にする傾向にあると思う。色んな人と接してゆっくりと話を聞くことで、個人として成長できる環境がここにはある。それぞれの成長を見るたびに、みんなと関われることを誇りに思う日々である。

 

自分の居場所を確認できることの大切さ


最初に若い人が来た時は、色んな知識や情報を持っていることに圧倒されるばかりであった。しかし、長く付き合っていくうちに、人が本質的に求めていることは、”自分の存在や自分を理解してほしいという気持ち”なのだということに気付かされ、この活動を続けていくことに少し自信を持てたと思う。

 

神山に来るとみんなが話しかけてくれるし、困ったことがあれば近所の人が手伝ってくれる。自由奔放で自分を思い切り出せた中学時代に戻ったような感覚になるのだ。今まで都会生活で疎外感を感じていた人たちが神山に来ることで、自分の存在感や自分の居場所ができたのではないかと思う。人間にとって一番大事なことは、自分を見てくれる人、自分を大事にしてくれる人の存在だと思う。

 

田舎から学ぶ心の強さ


神山に若い人たちが来ることを、地域の人たちもとても喜んでくれている。神山には足りないものも多く、限られた現状の中で折り合いをつけながら気持ちを強く持っている人が多い。場所によっては、畑や田んぼを貸してもらい、米やそばを育てている。農作業が好きな人が色んな所にいるので、手伝いに行くこともある。神山の人たちの人生や心の強さを、今の若い人たちに学んでほしいと思う。

 

今後の展望や目標


夢とまではいかないが、ずっと笑顔でいられる暮らしがしたいと思う。誰かと一緒に暮らしたら良いことはもちろん、多少の困ったこともあるが、それでも良い方向に考えて心満たされる暮らしを続けようと感じる。今でも月に1〜2回ほど県外から泊りに来てくれる人もいる。できる限り、岩丸家の現状を保ち続けたいと思っている。

 

年齢も仕事も出身も全く違う人が、こういう所で一緒に生活することは本当に不思議な出会いを生む。神山のようなシステムを他の地域にも展開しようとしていることもあるらしいが、受け入れる地域がなかなか少ないそうだ。そのような中で、10年以上も続いていることはとても誇らしいことだと思う。

 

現代社会では失われつつある豊かな暮らし方が、神山にはある。田舎でありながら先進的な部分があり、だれが来ても魅力的だと感じる町であろう。これからも神山と共に歩み続けたいものである。

 

岩丸家の思い出


上田直樹

出会いは2015年ごろだったと思います。友人が岩丸さんの家に居候していた時に挨拶にいってお酒を飲ませてもらったのを覚えています。ずっと水が綺麗な場所に住みたくて岩丸さんに家を紹介してもらいました。いつも何かやりたいと思って相談に行ったときに「やったらええんちゃう」って背中を押してくれました。それがどれだけ私たちの力になったかはかり知れません。本当に懐の深いお父さんのような存在です。


青木詔子

神山塾5期生です。2013年の7月から約半年間お世話になっていました。夏からの下宿生活だったので、一緒に阿波踊りを見に行かせていただいたり、秋には鳥取県や冬には高知県など…当時一緒に下宿していた子たちと一緒に色んな場所に連れて行っていただき楽しい思い出ばかりです。私はお酒を飲むことが好きだったので毎晩のように晩酌して色んなお話をさせていただいたこと、沢山の方たちが入れ替わり立ち替わりいらっしゃるというのも岩丸家の特徴だったので、色んな方をお迎えしながら交流できたことが一番の思い出です。


小田 奈生子

私は地域おこし協力隊で神山に来たので、神山塾生ではなかったのですが、同じ年頃の人が岩丸家に下宿していて、よく呼んでもらってました。来た頃は知り合いもいなかったので、岩丸家の存在はとても安心できました。そういう人も多いと思います。それから、今乗っている車は、岩丸さんの娘さんから譲ってもらいました。 岩丸さんは、締めのコーヒーを飲むと、あとは若いもんでーと上の寝室にあがることも多く、家主不在でそのままいれる家って中々ないなと思います(笑)岩丸さんは分け隔てなく色んな人と接し、家に呼んであげます。それって中々できることじゃないです。そして、その人の内面をよく見ています。岩丸さんはよく、「別に神山にずっといなくてもいいんよ。第二の故郷ぐらいに思ってくれたら。その人の人生やし、自由にしたらええ」 とおっしゃいます。だいたいの人は、「神山にずっといてなー」とか、「骨をうずめる覚悟なんか?」と言う人が多い中、岩丸さんの言葉は、色んな人の肩の荷をフッとおろしてくれています。それから、「最初は何をしたいかわからなくても、そのうちやりたい事がみえてくるから、焦るな。」といつも塾生に言ってますね。 岩丸さんが意識不明で救急車で運ばれた事が2回あるんですが、1回目の時は長く入院することになって、始めて岩丸家がなくなってしまうんではないかと不安になりました。退院してからも闘病生活で薬も沢山飲んでて、心配の日々でしたが、今ではお酒も呑めるようになって、ホッとしています。岩丸さんの功績で神様も生かしてくれてるんだなと思います!岩丸さん、まだまだ長生きしてくださいね!!


戸田温

神山へ越してきて初めての晩、夕食に足を運ぶと、数名の方が台所で夕飯の準備をしていました。すると、続々と人が集まり、最終的には10人近くの人たちと食卓を囲んでいました。初日にも関わらず、アウェイ感が全く無い。これはここの不思議な力です。そして何よりも、外へ出歩かなくとも、神山内外の面白い人たちと出会うことができます。小さくもあり、大きい「神山」というコミュニティを最短距離で知り、感じることができることが、この岩丸邸の面白い所だなと日々感じています。


神先岳史

昔は飲食店が少なかったので、外から来た人を招いたり、身内での宴会などは岩丸邸で行われていました。そのなかで僕が料理人ということもあり、よく団体料理をつくっていました。卒塾のラスト4日間は特におおくて、全部で200名の料理をつくりました。塾生みんなに協力してもらい、ドタバタしながら楽しんでいたのを覚えています。

あとは自分たちの結婚式を塾生のみんなが手作りでしてくれたことです。

岩丸さんのすごいところはどんな人でもフラットに接して、最大限のサポートをしようといいう姿勢で、まさにグリーンバレーの精神を体現されているところです。個人的には少しでもその精神を受け継ぎたらと思い日々精進しています。


寺田美櫻

岩丸さんがよく言う言葉は、「やってみたらええんちゃう」。私とルームメイトの茉莉は、一緒に様々な場所へ出かけました。お遍路転がしを歩くこと、小豆島への旅行、上勝への旅、四国一周自転車旅。岩丸さんは、挑戦しようとする私達を応援して見守ってくれました。

岩丸邸は私のお家で、私は岩丸娘です。どこに行っても、また戻ってきてただいまと言える場所があり、岩丸さんがおかえりと迎えてくれます。だから私は、やってみようと一歩踏み出せるのだと思います。


西谷茉莉

岩丸さんとの思い出の中でも特に印象に残っているのは、私とルームメイトのミオがお遍路転しに挑戦したときのことです。今でも忘れられないのは、ゴール地点に駆けつけてくれた岩丸さんと再会した瞬間です。何時間も歩き続けてクタクタの私たちの頭を撫でながら、大きな笑顔で「よう頑張った」とひと言。家族に再会したときのような安心感で思わず涙が溢れそうになりました。たった3ヶ月たらずで、こんなにじんわりとあたたかい気持ちにさせてくれた岩丸さんは本当にみんなのお父さんだなぁ、と思いました。